kafuu(カフー)の意味は、良いこと、幸運、ラッキー、吉報。息子の不登校をカフーに結び付けたい母は今日もガタガタ道でみつけた、ちっさいラッキーを記します!

Kafuu、不登校児の母となる

不登校を決めた息子を見守る母=Kafuuのa-ha!体験記です。

そうだね!ゴリゴリの体育会系ではなかったね

生来(と、いってもまだ14年の時間しか重ねていない中で、ではあるが)、

頑固で譲らない性格を持つ息子である。

 

家族としては扱いにくい面であるが、そのことを上手いこと言ってくれる人が居る。

 

ドッシリと頼もしいオーラが出ているような気がする・・・

イヤ(^_^;)、根拠はないんだけどね、と。

 

息子さんのことだから、考えあってのことでしょうね!と。

 

 

 

周囲の理解がハンパない!

今回の不登校についてもしかり。

母=Kafuuが日々のつれづれをどんなにあーじゃこーじゃと愚痴垂れても超絶ポジティブシンキングな人々の言葉にたちまち押し上げられる( `ー´)ノ。

もしかして派閥があるなら周囲のほとんどは息子推し

母=Kafuu派は不在なんでしょうか?と変に焦るほど、

君を取り巻くひとびとは、あたたかい。

君という人間を理解してくれていた人間が多いことに気づかされる。ありがたい。

一方で母=Kafuuときたら…。

 

そういう子じゃ、ありませんでした

先日、君が書いた散文を目にした。

自己投影したと思われる主人公が一人称の語りで進行するファンタジーだったのだが。その中に、こんなくだりがある。

運動神経は悪いほうではないので、やればそこそこに出来てしまう。体育祭の花型競技に当然のように祭り上げられパズルのようにはめ込まれるが、そういうことは好みではない。

大会に出れば気づけば次のデカい大会出場の権利を獲得でき、当たり前だが日々は次の大会に向けての練習に忙殺され、次の大会は、また次の大会へとつながるもので、終わりがない。

どちらかといえば、ゴリゴリの体育会系として生きるよりは図書館でひとりで本を読んで過ごしたい。変人と言われようと、そちらを選びたい…。

 

 

 ・・・・・・みたいな。

 

そうか!君はゴリゴリの体育会系じゃなかったのか…。

いや、気づいていたけれどゴリゴリへの牽引を母=Kafuuは一生懸命にやってきていたのかもしれない。

ここで思い返すのが、総合教育センターの臨床心理士先生の言葉である。

『部活の帰りに友達とラーメン食べて帰ってきてほしいのは、お母さんですよね?』

 『息子さん、そういう感じの子ではないです』

kanimega.hatenablog.com

 わかっていたけれど。

先の将来、一人っ子で従兄妹もいない君をひとり残していく親の浅はかさで、体育の絆でつながる仲間さえいれば、人生の荒波は乗り越えられるはずだと信じてしまっていた。

そっち寄り、そっち寄りへと舵取り旗振りしたのは、余計なお世話だっただろうか。

 

自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の東田氏も

昨年末にNHK特集で東田直樹氏のドキュメンタリーが放映された。

録画していたのだがチャンスを逃してしまっていて、昨夜やっと観た。

番組の縦糸は、東田氏と自閉症の息子を持つ作家・ミッチェルさんの交流を描いている。ミッチェルさんには悩みがある。自閉症の息子に友達がおらず孤独で悲しい。友達を作るにはどうしたらよいだろう、

というようなもので。

東田氏の答えにサブいぼが走った。

友達がいなくて孤独で寂しいと感じるのは、息子ではなく、ミッチェルさん、あなたでしょ?息子には友達が居てほしいと思っている。友達と一緒に居なければダメだという価値観で見れば息子の環境は孤独で歪んで見えてしまう。しかし、本人はどう感じているだろう?そんなこと余計なお世話かもしれません。

 ・・・・・・やっぱりそうなんだ。

いくら親が愛情から安全な道を示しておいでおいでをしても、乗りたくない子供は乗っからない。子供の選択は間違いではない。・・・・・・らしい。

 

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

 

 

 君が、これこそ俺、なり僕、あるいは私、またはオレ様だ、という人生を

母=Kafuuは乗っ取りません。