そうだ!君は母の果報でした💦忘れそうになるけど💦
生来(といってもまだ14年しか重ねていない時間の中で、であるが)頑固で繊細な息子である君に、
今日は母=Kafuuの友達の話をしようと思う。
サチコさんは母=kafuuの親友で、最大の理解者である。
もう、何も分からなくなってきたからお別れです。探さないでね、
ある日そんな伝言を残して交流ができなくなってしまったのだが。
14歳。アメリカ世(ゆ)を生きる
昭和20年3月に沖縄各地で編成された看護部隊に14歳になったばかりのサチコさんも動員され、鉄の雨が容赦なく降る戦場を生き抜いた。戦後は頭を丸刈りにし、男の格好をして鉄条網をくぐり抜け、米軍占領地の食料をくすねて飢えをしのいだという。その後、コザ(現在の沖縄市)にAサインBAR(米軍公認の飲食店)を構え、幼かった妹たちの成長と教育を成人するまで支えた。
そんなサチコさんの穏やかな老年期に私は出会った。那覇市の桜坂社交街。数々の怪しくも優しい色合いのネオンが点滅する横丁にサチコさんの店はあった。今では伝説の店になってしまったが。
博識で潔いサチコさんの店には若者からお年寄りまで、色々な職種の人間が集まってきた。彼等から「先生」と呼ばれた彼女は、旅行者だった私のことを
「隠し子が生んだフラーな(おバカな)孫」
と紹介し、周囲を驚愕させて楽しんでいた。
Kafuu(カフー)誕生
kafuu(カフー)、とは、その後私が結婚し、お腹に君が住み着いた時にサチコさんと一緒に考えた、女の子の名前。
妊娠の報告をした日の事は今でも鮮明だ。サチコさん、涙声で
「ぬちどぅたから。いいくとぅきいたー!ゆがふー、ゆがふー」と喜んでくれたっけ。
と、サチコさんは教えてくれた。重みがあった。
生まれてきた君が、男の子でびっくりしたが、
その日から私が君の母=kafuuになった。
君が生まれてきて母はムル、カフーです。
君は私のカフーです。
サチコさん、私、母として新たな難しいミッションに取り組んでいます。そのことは、きっとカフーですよね!
ムルクゆがふーが、いつまでも続きますように見守っていてくださいね!
アートートー、ウートート…
あれ?ひょっとしてまだご健在かしら???
失礼しました。
沖縄にご縁があるかもしれない君へ
そうだ!君がもしN高等学校に進学したら、サチコさんの軌跡を訪ねてみるといい。驕らず怯まず真っ直ぐに生きる人の背中は凛々しいぞ!
それからそれから。友達は学校だけでできるものではない。つくるものでもない。ふと気づいたら傍に居てくれたり、居たくなったり。その部屋から一歩踏み出したときにそんな出会いに一喜一憂してほしい。
それにしても、会いたいよーサチコさん。