そうか!爺ちゃんの物語が君にリレーされているのかっ!
生来(と、いってもわずか14年分の時間の中での事ではあるが)、
息子はド級の頑固に加え、超絶恥ずかしがり屋なのである。
ある日、爺ちゃんが誕生日プレゼントに好きなものを買ってやろうと言ってショッピングセンターに連れて行ってくれた時のこと。君はホントは欲しいものを頭に描いていたのだが、爺ちゃんが連れて行ってくれたその場所にソレは無かった。
選べない君に「またか!」という困り顔の爺ちゃん。
別の店に行ってみたい、とか、甘えたことは言えない君に「なんでもいいじゃないか」とは言えない爺ちゃん。
二人の間にどんどん時間が流れ、気持ちがささくれ立っていく!
こりぁまずい!まずい展開だ!そろそろ助け船を出さねばならないだろうか?と
母=Kafuuが冷や汗をかき始める頃、君は
「もういらない、もう帰る」とヘソをまげてしまった。
可愛くない孫の言動ではあるが、爺ちゃんは強かった!
「じゃあ、二番目に欲しいものを二つ買ってやるから選びな」
わお!
めでたく一番じゃなくて二番目に欲しいものを二つも手にした君は
満たされた表情でプレゼントを手にしていたっけ。
でも、君が一番に欲しかったもの、って、その後手に入ったのかな?
それはそれとして、今回は君を応援してくれている爺ちゃんのことを記してみようと思う。
続きを読むそうだ!しゃくりあげて泣いてみよう。付き合うから。
生来(と、いってもまだ14年しか重ねていない人生なのだが)
納得しないと行動に移さない息子の頑固ぶりは、ほんの小さな赤ん坊の頃からズバ抜けていたように思う。
あれは君が誕生した日のこと。
小さな舌先を震わせて泣きまくり、母乳を吐きまくる君は、嘔吐症と診断されて保育器の中に入ってしまった。
へその緒につながれ栄養を摂取する環境がよほど気に入っていたのだろう。仕方ない。
母=Kafuuは、そう感じていた。ちっさなお手てを握りしめ、真っ赤なしわくちゃの顔をして、怒るように泣きまくる様子はすでに何かと戦っているように見え、頼もしくもあった。
義父は初孫の危機を感じて私に言った。
「あんたの乳首の玉っころがデカすぎて母乳が飲めないと怒っているに違いない!可哀そうに…なんとかならないのか…」
それを聞いて慌てた夫はすぐに産院を飛び出して、搾乳機と直母乳を授乳する際に付けるシリコン製の乳首を買ってきたのだが。
…この話は君の誕生を語る上で笑うに笑えない伝説となっている…。
その後の君は、やはり直母乳も粉ミルクも好みではなく、
私は修行のように母乳を搾乳し、義父は初孫をかき抱き哺乳瓶で授乳する時間を愛しんだ。
君が不登校になってからお世話になっている臨床心理士の先生に、乳幼児の頃の抱っこの仕方を聞かれたことで、いろいろな記憶が蘇ってきた。
とにかく日々泣きまくるので、抱っこは抱きしめるようにギュッっとしていた。
頭は左向きにしないと寝なかった。
家の中よりも外の空気にあたることを好んでいたように思う。
夜泣きの日、君を抱きしめて歩いた早朝の川べりで、向こうからやはり夜泣きの子を抱いた若い母親がやってきてお互い無言で挨拶を交わしたことがあったっけ…。
少しずつ君との時間を重ねて母=Kafuuも、君の母としての修行をしてきた。
その後、小学校5年になるまで続いた夜泣きパターンに対しては、日中の君の我慢を昇華するのに必要な時間だったはずだと信じ、ひたすら身体をさすり時に抱きしめて過ごした。
今、あの時のように泣かなくなったのは、どうしてなんだい?
そうか!わかった!日々が安心で満たされているからなのか?
でもね、今度君が泣くときは母=Kafuuもお供したいと考えている。
横隔膜をケイレンさせてしゃくりあげるまで、思い切り泣いてみたいと考えているのだが、どうだろうか。
そうか!洗いたくないのか💦仕方ない!
生来(と、いってもまだ14年しか生きていないのだが〕、
息子は留守番上手な子供であった。
例えば深夜に実家両親の体調急変!息子が乳幼児のうちはチャイルドシートやラゲージスペースに布団を敷くなどして一緒に連れて出ていたのだが、
字が読めるようになってきてからは、深い寝息の息子の枕元に手紙を置いて、息をひそめて祈るような気もちで出かけていたっけ。
例えばこんなふうに。
【おはよう!モニョだよ!
今朝もお留守番よろしくね!って、母ちゃんが言ってたよ。テレビの部屋に行ってごらん。ディズニーチャンネルで、かわいい番組が始まるよー😍お皿に乗ってるオニギリを食べながら観ようよ!】
…ちなみに。モニョとは、息子と私が、ごっこ遊びの中で作り上げた目に見えないキャラクターで、ちょっと勝気な森の精なのである…。他には、気弱な白キツネ🦊。お節介焼きのミャーニャー😺は、猫のクセにお母さん気取りで息子のライバル心をかき立てたものだった。
【食べ終わったお皿は、ミャーニャーだったら洗ってみるなー。母ちゃんをビックリさせちゃおうよ!】などと書いておくと、完璧ではないにしても皿は十中八九、幼い手により洗い上げられていたものだ。
だがしかし。今となっては懐かしい思い出でしかない。仕事から帰宅した私は日々、シンクの中でカピカピに乾いたまま置き去りにされている朝食の皿と昼食の食器類を洗ってから晩御飯の支度に取りかかる。腹立たしい!
不意に頭の中でモニョがつぶやく。
【今日の息子の生存確認、カピカピの皿で出来るって事じゃない?】
そうか!君はカピカピの皿で母に今日の生を示しているのか!?食べたよ、って??
わかった。承知した。
おはよう。君は今日も朝から食器を洗わないのだろう。私は出勤する!
君も安全に過ごしてくれたまえ!
そうか!腹が減ったか!承知した。
生来(と、いってもまだ14年しか生きていないのだが)
米好きな息子の食欲を満たすために、いくつの握り飯を作ってきただろう。
マシュマロサイズのふざけたような小ささの握り飯を小皿に並べていた幼児期。
少々体調が悪い日でも、塩結びだけは口にした。
試合に出かける朝には3合の握り飯を持たせて送り出していたのに。
いつの間にか君は、運動不足の身体が肥えていくことを気にするあまり、大好きな米を摂取することを意識的に控えるようになってしまった。
母=Kafuuが茶碗にふっくらと炊き立ての飯を盛っても君は、その半分ほどをあっさりと釜に戻してしまう。
米だけではなく、テーブルに並べたおかずの類も積極的には口にしない。作り甲斐がない。「おかわり」の声は、「いってきます」以上に聞いてみたい。
いつの間にか献立もおざなりになり、どうせ食べないのだからと炊飯する機会も低下した。
しかし今日は違った。
「たまにはラーメン食べに行こうよ」、と誘う母=Kafuuの言葉に君は嚙みついたね!
「米だよ!米!米!今晩は米だ!母ちゃん。腹減ってんだよ…」
そうか!そうなのか!今日は腹が減ったのかっ!
すかさず、いつもよりやや濃いめに味付けした手羽元の甘酢煮を作り、炊き立ての飯をふっくらと盛った茶碗を添えた。
果たして!
テーブルにはきちんと空になった皿と茶碗が残された。
食後、いつもよりも多めに腹筋をする君を、うたた寝するフリをして盗み見ていた。
そして気付いた。何かが変わり始めていることを…。
そうか!わかった!承知した。
生来(誕生して14年しか経っていないのだが)、
頑固で言葉少なで不器用な息子には、
不登校、というよりは昔ながらの登校拒否という言葉がしっくりくるような気がする。
君は、学校に「行けない」とも「行かない」とも「いじめられている」とも「いやだ」とも言わなかったが、制服に袖を通さなくなった朝から既に10か月が経過した。
母=Kafuuには、当初その理由がサッパリわからず、君とたくさんの押し問答を繰り返したが、君からは何の言葉も引き出せなかった。
ただ、ある秋の夕暮れ、いつもの押し問答。母に言われ放題の嵐の中、親指を強く握りしめ黙っている姿を見たときに、ふと、まだ君が小学生男子だった頃の授業参観を思い出した。
「良い姿勢でカッコよく待てた人からプリントを配ります」、
そう言った担任の先生の言葉に愚直なまでに素直に反応した君は、背中が反り返るほどの気を付けの姿勢をして、口を結んで、手をグウの型にして膝に置いて待っていたっけ。
しかしいつまで待っても君にプリントが配られることはなかった。やがて授業は進行していく。グウに握った手に力が入り、瞳に涙がにじんでいたっけ。見かねた同級生ママがカットインし、忘れられた君の存在を担任に伝えたのだが…。
君の学校生活は、例えばそんな場面がたくさんあったのではないだろうか。
ちょっとだけわかった。
もう、これ以上の不登校の理由探しは不毛だ、と、母=Kafuuは理解した。
君がのびのびと不登校をし、将来豊かな心で生活者として歩みだす方法を考えたい。
今では、それが不登校児の新米母=Kafuuの仕事だと承知している。